明日のために戦う人々: クルド人

 

繰り返しですが、クルド人に関してトルコ(特に南東部)に行く方は知っておくべきことだと思うので私の知っていることをお話しします。

繊細な情報なだけに、それぞれの異なる視点から数回に分けて、丁寧に説明していきたいと思います。
そのため、そのうちどれかの記事をご覧になる方は可能であれば他のクルドに関する記事も読んでいただければ幸いです。

 

 

 

 

ギョレメ、カッパドキア、トルコ 

 

 

 

トルコ南東部バトマンでクルド人やトルコ人の友人達と中東情勢について話していた時の話しです。

 

私 : PKK(かつてあったゲリラとされるクルド系反政府組織)とかのことはどう思うの?彼らは暴力的ではないの?

 

クルド人の友人A: 彼らは僕らのために戦ってくれてるんだよ。僕とは考え方が多少違うけど、クルドの文化を守ろうとしてるんだよ。

 

南東部に住むトルコ人(親クルド人派)B: 人は権利や自由を手に入れるためには時に立ち上がらなければいけない時ある。それは歴史が証明しているだろ。

 

クルド人の友人A: そう。 でも暴力は良くないよ。

 

南東部に住むトルコ人(親クルド人派)B: そうだね。だけど世界を変えるには必要な時もあるんだと思う。

 

 

「結論からいうと、私の友人たちは非暴力を好み、暴力には反対だが現実の世界には必要な時もある」

 


と考えている人が多かったです。

 

 

暴力的な行為には私も賛成はできませんが、確かに私の友人の意見は一理あると思います。

 


つまり、現代の日本では戦後、戦争は良くない。
争い事は良くないとして、それら全てを悪と考えているような節があると思います。

けれど、世界を見渡せばまだまだ紛争地域や争いの絶えない場所があります。

それらの全てが「悪」なのでしょうか?

そこで命を懸けて、まさに「一所懸命」(一つの場所に命を懸ける)に戦う人々達は「悪人」なのでしょうか?

 

 

歴史を振り返れば、確かにほとんどの国や地域では先人達が戦うことで自由や自分達のアイデンティティーを守ってきました。

日本は戦争で負けた結果、西洋やアメリカから与えられる形でそれらを受け取ったわけですが、元をただせば、西洋史の中で人々が勝ち取ってきた権利なわけです。

それから約70年経過した現在、平和な世の中に住む人々は今の時代にそぐわない野蛮な人たちだという視線で自分達の未来のために戦ってるいる人たちを非難する人々がいます。それは少し無責任なように私には思えます。


綺麗ごとかもしれませんが、全ての人が戦わずして、平和に暮らせる世の中が実現することを願って全人類が力を合わせるべきだと心から思うのです。

 

 

 

 

クルド民族

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