ハサンケイフ ~失われゆくトルコの遺跡~
トルコには沢山の遺跡があります。
ハサンケイフもその一つです。
ハサンケイフ、トルコ
1万年以上も前のお話しです。
ハサンケフの確かな歴史は良く知られていません。なぜなら、あまりに古いため文献がの残っていないのです。約1万年前頃になると文献が表れ始めます。そのため、これより古いことは確かです。
ハサンケフはチグリス川とユーフラテス川の間に位置し、メソポタミアは特別な場所だとされています。石器時代頃、そこに住む人々は人類の大きな転換期に到達しました。文明はこれらの川のほとりに誕生し、新石器時代には農業や動物の飼育の発達がみられました。文章はここで発達し、後にそれらの学者の子孫は初めて機械のロボットを作り出しました。今日、このエコリージョンは多種多様な動物群と惑星生命の生息地帯となっています。
上の写真をご覧ください。岩の部分に穴のようなものが空いているのが分かりますか。
これは人が生活していた場所です。
開閉橋の起源、ハサンケフ、トルコ
これは、世界最古の物ではないかと考えている開閉式の橋(ロンドン橋やサンクトペテルブルクのものが有名)
トルコ内では遺跡としては有名ですが、アクセスはあまりよくないため、海外からの旅行者はかなり少ない印象を持ちました。
このあたりは遺跡と自然に囲まれた、とても素敵な地域です。
この遺跡がもう時期失われようとしていることをご存知でしょうか?
ここには水力発電のためにダム建設されます。水の底に沈んでしまう遺跡なのです。
UNESCOはこの遺跡を世界遺産には認定しませんでしたが、守るために15年以上の交渉を続けました。しかし、トルコ政府はダムの建設を止めることはしません。
そのため、周辺に住む住民もみな立ち退かなければなりません。
なぜなら、電気の供給が必要なのです。
実はこれはこの地域では初めてのことではありません。
19世紀後半にユーフラテスに一連のダムが建設されました。その結果、川の生態系は崩れ、川にもとからあった多くの特性は失われました。その地域は急激な気候の変動を経験しました。それは、メソポタミアに生息する種だけではなく、そこに住む社会にも負の影響を与えました。この時その地域で発見された820か所の考古学地帯のうち、たったの76か所のみの部分的な調査しかされていませんでした。残された地域の調査には人類の歴史を啓発する可能性がありましたが、結局それは行われることなく、ユーフラテス川のダムに沈められました。
これは、私の見解ですが
ここには格差と民族対立の現状が隠されていると考えられます。
下記の記事をご覧ください。
もちろん、民族問題だけが問題ではありません。しかし、東西の経済格差の是正として、政策がとられていることは否定できないでしょう。
遺産や自然が大好きな私にとってはとても悲しいことですが、
トルコの政府や国民が動かない限りはどうしようもないかもしれません。
それでも、こうやって失われていくすばらしい遺跡があることをを少しでも多くの方に知っていてほしいと願って止みません。