ドイツの強制収容所の劣悪な環境
ここは強制収容所の一角です。
そして、この一見何の変哲もない石の道を進んだ先にある建物は以前の記事で紹介した強制労働収容所の宿舎です。
以前の記事
この道にも意味があります。
強制労働所はただ人を虐めるための施設ではありません。
ここで、靴を履かされた人々が歩かされました。
雨の日も、風の日も、雪の日も。。。
オラニエンブルクはドイツの北にあります。
9月の間には、気温は日中でも10度以下になり
冬は氷点下です。
その環境で上下シャツ一枚ずつ、食事もろくに与えられずに、サイズが合うとも限らない靴を履き、来る日も来るも歩かされたのです。
倒れれば罰が与えられ、死んでしまえばそこで終わり。。。
焼いてもらえれば良い方でしょう。
なぜ収容者はこんなことをさせられたのでしょうか。
それは、ここが労働施設だからです。
この強制労働につかされている人間が、ひたすら歩くことで靴の耐久性をチェックしていたのです。
あまり意識されていませんが、強制労働から利益はでていました。
この施設の運営も政府によってだけでなく、民間の服のブランドや製薬会社等からの支持があり、それらの実験施設となっていたのです。
もちろん、ここで得た収益が強制労働につかされた人間に還元されることはありませんでした。
さて、宿泊施設に移ります。
天井のなどの壁のペンキが剥がれているのがわかりますか。
これは、ただ風化してしまったせいでも、手入れを怠ったせいでもありません。
この壁の痛みはナチスが敗戦間際に強制労働の証拠を消そうと、火をつけたときにできた焼けた跡です。
ここはベッドルーム
2段ベッドずらりと2列に並んでいます。
ここにはどう考えたって5、60人が限界ですよね。
ですが、ここに多いい時には、何百人もの人が詰め込まれ、最終的にはベッド横たわるところか、座ることもままならない程に人が収容されたそうです。
そんな場所の衛生状態は最悪でした。
一日中働いても服は一人一枚でした。
つまり、洗うことが難しかったそうです。
それに耐え切れなくった人は何とか洗って、裸になった状態で窓から干します。
ところが、当時ここの空気は常に人の焼かれた灰が蔓延し真っ黒だったそうです。
想像してみて下さい。
人の灰と汗で真っ黒になった服を運よく洗えた(それでもまだ服は灰で真っ黒)としても、冬には氷点下になる環境で大勢の人の中で裸になって凍る服が乾くことを祈るしかないのです。
過酷すぎますよね。
それでも、病気になって死ぬよりはましだということでしょう。
さて、次は衛生面に迫ります。
これはトイレです。
プライベートも何もありません。
ただの穴が開いているだけのトイレで他人と隣り合わせに座って用を足したそうです。
次はシャワールーム
写真が小さくでごめんなさい。
実際ここは小さな小部屋ですと言いたいくらい狭いです。
なぜならここには、80人程度の人が詰め込まれたそうですから。
私の住んでる東京の朝のラッシュの電車よりもひどいかもしれません。
ここに立った状態で押し込まれ水をかけられ、そこに20秒程度で入れ替わるのだそうです。
そんなこのが本当に可能だったのだろうかと疑いたくなってしました。
こういった環境下で多くの人が亡くなったそうです。
不衛生性で病気にかかる人も多く、労働させられ体力のない人々の間では簡単に蔓延していったのです。