仲間の裏切り~マイノリティーの苦悩~

 

It is easier to forgive an enemy than to forgive a friend.

 

                                                                                                                ― William Blake

 

 

 

敵を許す方が友人を許すより易しい

 

                           -ウィリアム・ブレイク

 

 

 

 

繰り返しになりますが、クルド人に関してトルコ(特に南東部)に行く方は知っておくべきだと思うので、知っていることをお話ししたいと思います。

繊細な情報なだけに、数回に分けて、それぞれ別の視点から限り丁寧に説明していきたいと思います。
そのため、クルドに関するどれかの記事を読む方は可能であれば他のクルドに関する記事も読んでいただければ幸いです。

 

 

トルコ南東部バトマンで国際ワークキャンプに参加していた時の話です。

 

 

 

ある日の夜、外出していたイスタンブール出身のトルコ人の友人達が私達の滞在していた寮に戻ってくるなりこう言いました。


友人: もうこんなところにはいられないわ!! 出ていく!!

私: 何があったの!?

友人: だってここ変なんですもの!! 私が彼氏といい感じになっている時の街の人の目を見たでしょ!?それ、おかしいわよ。でも、私今ちょっと酔ってるわ。
まぁ とにかく私達は出ていくわ。

私: ???

 

そしてまた別の友人の方を見ると

 

友人2: あなた達には会えて嬉しかった :)

    あなた達のことは大好きよ。でもここにはもういられないわ!!

 

と突然出て行ってしまいました。


私はその時彼らを理解することができませんでした。
なぜなら、私達外国人には何の問題も無かったからです。
しかし、縁があってこの出て行ってしまった友人達とは後々イスタンブールで再会しまいた。その時、彼らこの時なぜ出て行ってしまったのかを話してくれました。

 


友人: あの伝統的な考えの人達には嫌気がさしてたの。お酒は飲んじゃだめ。付き合ってる恋人同士でも一緒に泊まるのもだめ。おまけに参加する時には書いてなかったけれども、英語が話せるってだけでスタッフみたいに翻訳して働かなければいけなかったの。それはフェアじゃないでしょ!?

 

私: だけど、あの地域の人達が保守的でお酒飲んじゃダメだとか、あまり肌を露出しちゃいけないとか。男女関係とかに関しても厳しのは知っていたでしょう?

 

友人: 知ってたけど、ここはトルコよ。しかも大昔とは違うの。あんなのは変よ!

 


私の友人は、あまりに伝統的な価値観に理解ができなかったのだそう。
ここまで、ご覧になってくださった方の中にはこのワークを投げ出して出て行った私の友人に忍耐力がなかったように感じる方もいるかもしれません。
でも後に親友となる彼女は実はバリバリの国際派のエリートで多様な価値観に対してとても寛容な人です。

 

 


ではなぜこんなことが起こったのでしょうか?

考えてみれば、私の会社でもこんなことがありました。

 


「あの人常識ないんじゃないの。ほんと態度でかいよね。入ってきたばかりなのに。これも使いたいだなんて。」
と裏で愚痴をこぼす先輩方。。。

 

ここまで聞くとこの先輩の同僚が何が横柄な態度をとってそれに憤っているように聞こえますよね。

 

でも、これ本当はどちらが横柄(おかしい)なのでしょうか?


それは甲乙つけがたいと思いませんか?


つまり、相手を同じような環境、価値観の元で育った仲間(内の人)だと仮定するから

相手に対しても近い価値観や言動を求めてしまうのではないでしょうか?

「常識」という言葉が存在するくらいなのだから、ある社会の中で共通の概念や価値観が分かち合われていることがあることは容易に想像できます。

 

しかし、現実には同じ国で暮らしていても時に価値観が大きく異なることがあるのです。それは、あなたの隣の人が必ずしもあなたと全く同じ考えをしているわけではないのと同じです。


私達も「外の人」に対してだけでなく、「内の人」に対してももう少し寛容にならなければいけないのかもしれません。


こうした偏見と価値観の押し付け合いがマイノリティーを知らず知らずのうちに苦しめる原因となっているのかもしれません。

 

 

これは、今回挙げた問題はトルコ内の問題に限らず、ナショナルソーシャリズム女性問題、マイノリティー全般の問題に関わるポイントだといえるでしょう。

 

 

凝り固まってしまった固定観念の中に偏った見方が存在していないかぜひ考えてみてください。

 

 

 

ポツダム、ドイツ