負の遺産に対するドイツの視点と日本の視点
To To know is power.
It takes responsbility .
- L
知ることは力
責任を伴うの
‐L
ツェツィーリエンホーフ宮殿、ポツダム、ドイツ
この記事は一個人の視点だということを理解していただければ嬉しいです。
ナショナルソーシャリズムについては以前触れました。
今回は、なぜ私がナショナルソーシャリズムに興味を持ったのかを
ドイツと日本の負の歴史(戦争の歴史)に対する社会の捉え方の違いを通してお伝えしたいと思います。
例えば、「強制収容所」と聞くと、不気味な雰囲気やグロテスクなものを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
確かに、そこで起きた大虐殺や強労働は日本に生まれた20代の私が
学問としてどんなに勉強したところで「理解している」といえる日はこないでしょう。
とはいえ、ドイツには歴史を学び、今を考えることのできる環境が日本よりずっと整っていると言えます。
なぜでしょう?
強制収容所に足を踏み入れれば分かります。
例えばここ、ドイツ、オラニエンブルクの強制収容所の資料展示室です。
日本で日本の原爆の記録等をみたことのある方は、負の歴史の記録を見ると惨い画像まず目に飛び込むことをご存じかと思います。
そういった画像はいつまでも、脳裏に焼き付き、戦争の恐怖を刷り込みます。
悲惨な現実を映し出した画像は一つの体験を表したものですし、人々に感情で戦争はいけないものだと理解させるには効果的です。
一方、ドイツでは異なった手法で戦争を防ぐ努力をしています。
ドイツでは町を歩いても、戦争の爪痕を垣間見ることができます。
例えば、マールブルクの石畳やベルリンの広場の片隅の看板でも誰がどのように生きて、その命を奪われたのかが分かります。日常的に目に触れるのです。
マールブルクの石畳、ドイツ
しかし、強制収容所の中を眺めても
グロテスクなまでの画像や映像は目につきません。
これは、より多くの人に問題と向き合ってもらうためです。
残酷な画像や映像と向き合える人もいますが、
その一方で苦手な方も多いですよね。
そういった人にも、まず歴史を冷静に知ってもらい
問題と向き合って、今後どうしたら同じことを繰り返さずに済むのかを
考えてもらうためなのだそうです。
そのために、すべての人が目につくものはグロテスクではないが
当時の特徴を表すものを展示することで、
より学術な視点で考えられるようになっています。
これを聞いてドイツでは過去の事実が隠されているのではないか、
と感じる人もいるかもしれません。
上の展示室の写真中に映し出されている棚が引き出しになっているのがわかるでしょうか。
もし、衝撃の強い写真でももう少し踏み込んだ情報が知りたい人は
棚の中に入っているものを見られるようになっています。
戦時中もしくはナショナルソーシャリズムの教育的観点からみると
日本: ショッキングな画像や映像、話で出来事の重大さを感情に訴え、過ちを繰り返さないようにする。
ドイツ: 公の場でのショッキングな画像や映像等の使用はあえて避け、より冷静に(学術的に)多くの人の目を通して考え、将来同じこと繰り返さないように研究を進める。
という違いがあると感じました。
私がドイツで学んだことを通して、少しでも過去だけでなく、
今世界で、また日本で起きていることを知り、
二度と悲劇を繰り返さない世界に少しでも貢献できれば嬉いです。
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