偉そうな日本語、無責任なドイツ語 ~前編:ドイツの視点~
この記事は一つの視点だということを十分に理解していただければ幸いです。
また、筆者とドイツ人(ドイツ語のネイティブスピーカー)の英語での会話をもとにしたものであり、筆者はドイツ語を話しません。
先日テレビを観ていてこんなことがありました。
それはアメリカのドキュメンタリー番組を翻訳したものでした。
その番組では、過去に起こった出来事を取り上げていました。
「あたなたちは」と繰り返される主語に私はとても違和感を感じました。
これは日本語において不要な主語を訳だししていたためだけではありません。
英語においてYouは必ずしも「あなた」もしくは「あなたたち」と訳す必要はないのです。これはyouが単純に相手を指すためだけに使われるのではなく、「一般の人」を指す場合があるためです。この場合日本語ではよく「あなたたち」よりも「私たち」が使われますね。つまり、youは時に「私たち」や「一般的に」でもあるのです。
このことについては私よりも マーク・ピーターセン氏が『続 日本人の英語』でよく説明してくださっているのでこちらをご覧いただく方が私が説明よりはるかに良いでしょう。
これについて少し掘り下げて考えてみることにしました。
以前ドイツでナショナルソーシャリズムについて学んでいた際、こんなことがありました。
ナショナルソーシャリズムに馴染みのない方は以前の記事で紹介しています。
みんなで自国でのナショナルソーシャリズムの動きや歴史・文化的背景を話し合っていた時のことです。
日本人である私は自分の日本について発表の際によく”We" という単語を使いました。
これに対して、ドイツ人の友人(L)が私へ質問しました。
「WE(私たち)とは誰のことを指すのか」と
これは皮肉でもあります。
Lには私の使った”WE”が横柄に聞こえたのでしょう。
私にもこんな経験がありました。
日本人の友人(T)とオーストラリアで現地の友人と話している時、
Tは日本について話す時「日本にいる人が一般的に~する」ということをいう際よく
"WE"という単語を使っているのを聞き、彼女の意見に私は必ずしも賛成できなかったせいか、「なぜまるで日本のことを全て知っている」というような口ぶりで言うのだろうと疑問に思ったことがありました。
話は戻しますが、ドイツでの私の経験も同じこと、Lには私があたかも日本の代表かのように話すのが引っかかっていたのです。
これには他のドイツ人の友人も同意してる様子でした。
よく考えれば、”WE”とはなんとも抽象的な言葉です。
それが指す人々は必ずしも明示されていいないのですから。
例えば、
子供がクラスで何人かがカッコイイゲームを持っている時親に
「みんな~持っているんだよ!」
なんて訴えると、その親はたいてい
「みんなって?」
なんて返されて、うっ、と顔をしかめることがありますね。
この時の私はまさにこんな感じでした。
当時私には「私たち」、つまりこの場合「日本人」についての思考が不足ていました。
そもそも日本人とは何で定義されるのでしょうか。
国籍
外見
ルーツ(親、祖先の国籍)
育った場所
様々な要素があります。
私の場合は上記全てが「日本」で収まりますが、他の人が必ずしも同じだとは限りません。
例えば、私の友人の一人は両親は日本人でも彼女はアメリカで生まれ育ったのでアメリカ人で今は日本に住んでいて「日本人でもアメリカ人でもある」人です。またある友人は「母親は日本人、父親はフランス人」、また別の友人は両親ともに中国人で生まれも中国だけれども「人生のほとんどを日本で過ごし、むしろ日本を故郷だと感じている」
人たちもいます。
普段こういった人々をどれだけ念頭に置いて話を進めているでしょうか。
こういった意識を欠きがちな日本語話者はドイツのようにナショナルソーシャリズムや歴史に学び無暗にカテゴライズすることを嫌う人々や、個人主義の思考の強い人々には、WEという言葉は「何かを代表する」印象を与えてしまうようです。
では、個人主義に基づく思考で話し続けるとどう変わるのでしょうか。
それは、次回へとって置きます。次回は日本語の視点からお伝えします。