メルボルンのご紹介
Adolecence is like a summer.
Flying too many dramas and leaves sticky heat and fear.
-M
青春はひと夏のようなもの。
多くの人間ドラマを繰り広げ、ねっとりとした尾を引く熱と恐れを残して去っていく。
-M
うかうかしている間に、メルボルン生活も終了してしまいました。笑
あまりにもメルボルンが良すぎて、あまりにも出会った人達が良すぎて、ほとんど記事を書く時間も、出来事を振り返る時間も無かったです。
それだけ充実した日々を送らせてくれた街でした。
住みやすい街、ナンバーワン!と評される、その内情を紹介します。
メルボルンには4ヶ月ちょっと滞在しました。
なぜここを離れることになったかというと、オーストラリアの居心地が良かったことと、将来的にセカンドビザを取得しておいた方が良いのでは、と考えるようになったため、クイーンズランド州の田舎のファームへ移動しました。これはまたの機会にご紹介します。
メルボルンは、よく「世界一住みやすい街」として評されています。
では、メルボルンの何がそんなに良いのでしょうか。
オーストラリアではよく
シドニーは働く場所
メルボルンは住む場所
と言われています。
メルボルンは、穏やかで、しかも活気に満ち溢れています。
アーティスティックでモダンな街並みとビクトリア調と住宅街が融合し、イタリアからの移民が発展させたお洒落なカフェ文化とヒップスターな風潮が若者を引きつけます。
そのため人口の多くあくせくしたアジアの街と比較するとかなり落ち着いています。
しかし、生活には十分なほど発達しています。オーストラリアで2番目に大きな都市ですから。
メルボルン郊外のブランスウィック
東京にお住まいの方は、吉祥寺をイメージして頂けると近いものがあるかと思います。
但し、違うのはとても国際的であるということ。
よく日本で一般的な日本人の見た目の人がお店に入った場合、店員さんは英語で声をかけているのを目にしませんか。
その人がもしかしたら、日本で育ったかもしれないのに、もしくは日本語を流ちょうに話すかもしれないのに。
メルボルンではそういったことは経験しませんでした。日本から来た友人と日本語で話していても、容赦なく通常のスピードの英語で話しかけられます。
それだけ外国人に慣れているのです。
現地の人に話を聞くと、メルボルンに住む家族の親の多くは移民なのだそう。
また、大学都市であることからも、交換留学生などの外国人になれているのかもしれません。
そんなメルボルンの郊外、ブランスウィックに私は住んでいました。
ブランスウィックといえばヒップスター。
ヒップスターという言葉をまだご存じない方もご安心あれ。
次の記事でご紹介しています。
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