再開するよ!!

2021年11月初旬

 
異なるからこそ共通点を見出したときの喜びは大きい。
 
米原 万理
 
 
 
アベルタスマン・トラック、ニュージーランド
 
旅を始めた理由は何だっただろうか。
それとも現状を変えたくて、もがいていたかからなのだろうか。
コロナを経験した今言えるのは、私にとって旅は呼吸する事に限りなく近いということ。
芸術家の人が息を吐き出すように作品を創作する様子はよく描かれるが、それに近いかもしれない。
目の前の喧騒から離れ綺麗な息を深く吸い込み、現れてきた心にまでしっかり届けて、大きく吐き出す。それまでのわだかまりも良かったことも全て解き放つ。何も固執するものが無いように。目に見える物の断捨離もだが、心も軽い方が良い。心は豊かにすることは素敵に聞こえても、抱えたままでは身動きが取れなくなる。
 
ともあれ、またブログを書こうと思ったのは、ありがちだか、コロナで日常を奪われてそれはとても貴重なものだったと気がついたからである。と、同時に私にとっての日常は誰かには特別だったと理解したからだ。今まで、海外に1か月くらいふらりと若い女性一人で出掛けても、何の計画性も無しに動いても、私の周りにはそんな人ざらにいた。いや、珍しがる人の方が多かったし、理解されないことも多かった。でも、私のような旅をこよなく愛する人との出会いは珍しくなかった。
 
振り返ってみれば、私は運良くグローバル化が一般の人まで浸透し始めた「はざま」の世代なのだ。私が10代、20歳の頃はSIMフリースマホも、いやスマホ事態も一部の人が使い始めたばかり。Google mapの多くの場所は空白。それどころか、海外を旅していると、その土地で手にした地図さえ不正確な時代だった。情報は必ずしもタイムリーではなく。ほとんどは某欧米系のやや片寄った書籍の情報しかないことも多かった。だから、旅はいつもぶっつけ本番。周囲の人に声をかけて確認しながらでないと進まない。どれだけの人に助けてもらったか分からない。トラブルも多かったが、そこから始まった出会いは心に残ることが多かった。
 
一方、コロナ直前の旅はどうだったか。みんなスマートフォンを持ち、いとも簡単に旅程が組める。それも結構正確に。例えそれがミャンマーベトナムの奥地でもだ。出会った今の10代の子達は誰かに道を聞かなくても目的地に着け、現地の言葉が分からなくてもgoogle translatorでローカルの人と話すことができ、看板をスキャンして文字を読むこともできる。SNSをみれば直前に訪れた人からの情報を得られるし、まだ会ってもいない人と合流して一緒に旅する旅程が組める。その分、旅は安全になったし、余計な時間を過ごすことも少なくなった。
 
どちらが良いと言うわけではないが、新しい世代の人達は、トラブルの連続な中でジェスチャーでコミュニケーション取りながら、目の前人を信じて良いものか分からないまま、なんとか乗り越えてゆく時の面白さとドキドキと感動が癖になっていく感覚を知らないまま過ごして行くのだろうかと思うと、少し残念な気持ちがする。逆に私たちより前の世代が今の世界がどんなに変わっているか気づけたら素敵だと思う。
 
やっとまた旅に出れるようになったのだから、今の記憶としてここに留めようと思う。 
そして私にとっての日常が誰かの目にとまった時に、あぁ世の中にはこんな人達、世界もあったんだなと思ってくれたら嬉しい。
これから行く旅、そして旅を彷彿させる日常をご覧あれ。
 
今までの記事も少し整理しながら改めて公開しようと思う。
旅や感じた時期は左上に掲載するので参考にしてほしい。
 
まずは北陸の旅をどうぞ。
 
 
1日目の旅程