ベテラン通訳のエピソードから学ぶしなやかさ

2021年11月

 
-So many men, so many minds.
 
-十人十色
 
 
30歳目前にして、コロナ·三密という壁により旅から離れてはじめて気付いたことがあった。
 
自粛期間中にベテラン通訳の本を何冊も読んだ時のことだ。作家としても活躍されたロシア語通訳の米原万里さんやエッセイストもされたイタリア語通訳の田丸公美子さんの作品は中でも最高だった。このお二方、ご存知の方はお気づきだろうが、人生の大先輩でもある。失礼ながら、直球にいえば、他界されているかあるいはご高齢なのである。彼女達の言い回しは現代で公人が口にすれば一発アウト。すぐに角が立つほどステレオタイプどおりな人々が描かれ、ロシア人はイタリア人はと解説が入る。典型的な●●人が彼女たちの作品には生き生きと描かれる。時代背景もあったと思うが、あぁ●●人て、日本人てこういうところあるなと、くすっと笑わせてくれる、人間味ある人々ばかりが織りなすエピソードは実に面白い。
 
以前イタリア人の友人は一番面白いジョークは人種差別だと言っていたが、まさにそれだ。
 
こういうと人種差別を肯定するように聞こえるかもしれない。たしかに●●人はとカテゴライズすると息苦しさを感じる人は表れる。私自身、日本人にも関わらず子供の頃から帰国子女だと思われることも、帰国子女ではないと知っていて外の人間のように他の人と違う待遇を受けることも多かった。様々な例外として、ある種の特別待遇の恩恵を受けたのも事実だが、当人としては不愉快極まりなかった。そういう貴方達はこの国の代表なのか、他人のアイデンティティーを決めることまでできる神だとでも思っているのかと。
 
物事や人間までもカテゴライズして結論付け、例外など眼中にないボンクラは世の中に多い。日本のように集合的に物事を捉えがちな地域には残念ながら特に多い。
 
しかし、人がステレオタイプどおりの行動を取るとき、あるいは状態の時、やはり面白いのだ。また異文化を理解しているというのは、コミュニケーションの潤滑油にもなる。
 
やはり自分の欠点を笑いにできる人ほど寛容でしなやかな人はいないと思う。相手の優しいさと我慢強さにつけこめという意味ではないが、ありとあらゆる発言に何でもかんでも目くじらを立てるのではなく、鋭いユーモアで返せるなら、世の中はもっとおおらかになり、思いを届けたい相手にもより深くまで刺さるかもしれない。そのための道具と知識欲はあったほうが豊かな世界を感じられるのではなかろうか。
 
緊急事態宣言が明けた今もなかなか海外へ行きづらい今こそ是非読んでもらいたい。
 

 

お二人の名著。まずはここから読み進めてはどうだろうか。