二十六人の殉教者に捧げられた大浦天主堂と250年潜伏したキリシタンの奇跡【長崎・長崎】
2022年3月末
‐May the God of hope fill you with all joy and peace in faith so that you overflow with hope by the power of the Holy Spirit.
‐ROMANS 15:13
‐望みの神が信仰によって、あらゆる喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みであふれさせて下さるように。
‐ローマ人への手紙 15:13
潜伏キリシタンや長崎にゆかりのあるの話ということは教科書で習っていても、詳細までは知らなかった。
今回は長崎にある大浦天主堂を通じて日本におけるキリスト教の歴史と深い関わりを知ることができた。
外部リンク:大浦天主堂のHP
入館券は大人1人1,000円。中は撮影禁止で、資料館も見ることができる。
日本にある教会としては大きいが、キリスト教が主流の国のものより大きさは小さい。天主堂の中はステンドグラスで色鮮やかに彩られ、天井のアーチは美しいが、けして華美ではない。天主堂の中ではこの地のクリスチャンにかかわることが放送されていた。
まずは、1597年の日本二十六聖人の殉教。日本初のキリスト教迫害による処刑の歴史だ。豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって、キリスト教を崇拝し布教したという理由で十字架にかけて処刑された。その後長い間キリスト信者は迫害され、人々は投獄・拷問・処刑から逃れるため、潜伏キリシタンとして、五島列島や小さな島々へ避難し、身近にあった石などをキリストなどに見立てて信仰を絶やさずにいた。
一方、二十六人の殉教者たちは250年ほどたった後の1862年にローマ法王から「聖人」(キリスト教で最も徳の高い人)に選ばれた。
1865年引き続き禁教令の中、フランス人のためにこの天主堂が建てられ、その時二十六聖人にささげられた。そのため、大浦天主堂の正式名称も実は日本二十六聖人殉教者聖堂という。
当時、西洋館のもの珍しさに多くの人が見物にきたが、それに紛れて潜伏キリシタンたちもやってきた。キリシタンたちがプティジャン神父様へ近寄り、キリスト教信者であることとサンタ・マリアの御像を探していることを伝える。神父様は彼らをマリア像の前へ連れて行った。この出来事を「信徒発見」という。
この時、神父様は信者の子孫が存在していたことにとても感動した。なぜなら250年、すなわち7世代もの間、人々は迫害を受けながらも、宣教師たち無しに信仰を守り抜いたのだ。プティジャン神父様は大喜びでフランスとローマにこの出来事を報告したそう。
こういった内容が大浦天主堂で流れ、詳細がその横のキリシタン博物館(旧羅典神学校と旧長崎大司教館)で学べるようになっている。どれも大きな建物ではないので、見物にさほど時間はかからない人が多いのではないかと思う。さらっと建物の見物に行くなら15分20分あれば見終えられるし、展示物の説明を読み込んでもせいぜい1時間半だと思う。
ここの好きだったところは、教会は別の建物であり、そこには信者にしか入れないようだ。歴史的建造物を観光客用に有料で公開しても、信者(祈りと許しを求める人)にしか立ち入れない神聖な場所を分けてとっておくのはとても良いと思う。
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