Some things are written, no matter what they say.
I've seen them too many times.
-M
誰が何と言おうと、いくつかの物事は運命なの。
運命を幾度と無く見てきたんだから。
-M
この記事は以前の記事からの続きです。1話はこちらからどうぞ↓
ロシアからジョージアに着いて4日目、現地の友人たちとグダウリというジョージア有数のスキー場に行くことになりました。ところが、この日温かくので水気を多く含んだ雪の状態はあまり良くありませんでした。スキー上手な友人たちの判断でスキー初心者の私はその時ケガをしていて滑れない友人カト(仮名)とスキー場の近くのカフェで休むことになりました。
グダウリスキー場
そのカフェのバルコニーでしばらく日光浴を楽しんだ後、別の席に移りました。すると、少し間を置いてカトが言い出しました。「そういえばこの光景前にも見た気がする。MICとここにこうやっている光景を見た気がする。夢で。なんていうんだっけ。。。」と言い出しました。ロシアの友人アーニャと全く同じように。「デジャヴュ?」と私が今度はおかしくなって少し笑ながら聞くと「そう!デジャヴュ。でも、昨日とか1週間前のことじゃないの。半年とか1年前のことなの。」と彼女は答えました。
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このセリフは全くアーニャと同じでした。そして、カトもまた夢見る「不思議ちゃんタイプ」ではありません。もちろん、この2人は赤の他人で打ち合わせなどあるはずもありません。ここまでくると私はもう嬉しくなって私は笑いが止まりませんでした。
なぜなら、前回のアイスランドとヨーロッパバックパックの旅とこのロシア・ジョージアの旅は学生最後の旅でそれまでに海外で行った活動で知り合った人達を訪れた旅でもありました。私にとっては一種の集大成のようなものでした。これらの旅では「一生ものの経験」が多くあり、改めて多くの幸運を感じる良い機会となりました。その一方で今まで私がやってきたことは本当に良かったのだろうかと人生の岐路に立つ中で漠然とした考えも付きまとっていました。その不安がこの2人の言葉によって一気に吹き飛ばされ、肯定された瞬間でした。それは彼女たちは「今まで行ってきたことの中で出会った人達」だからです。
私が旅に出たことは偶然と直感のせいかもしれません。しかし、こうした運命とも取れる出来事の連続により自分の運命を信じてみようと思えるようになりました。
大切なことは、日々出会う「運命」を見逃さずに掴むことなのかもしれません。
現在の私の運命はどうやらシドニーにあるようです。シドニーの自然はこちらからどうぞ↓