【閲覧注意】広島の展示、ドイツの展示、広島平和記念資料館で覚えた違和感【広島・広島】

2020年秋 

※この記事の最下部には広島平和平和記念資料館に展示されている閲覧注意の酷い写真が含まれる。気にされる方は「終わり」と記載される文章の最後で止まることをお勧めする。


 

‐誰かが覚えていなければならない。そして、誰かがきちんと言う必要があるのです。

 

黒澤明

 

 

はじめに断っておくが、筆者は歴史やナショナルソーシャリズムなどのエキスパートではない。ただ旅人が旅先で出会った価値観を通して自国を見直した時の個人的な意見だ。

 

(おそらくアジアの多くの地域も同様だが)日本では今回訪れた広島平和記念資料館のように戦争の歴史に対して感情に訴かける伝え方をしていることが多い。時に被害者として時に加害者として。 ">広島平和記念資料館で違和感を覚えたのは、感情を揺さぶれるような酷い写真や被害者の声が公然と展示されていたからである。昔より眼を覆いたくなるような写真は減ったたのだろうが、人によっては目も当てられない展示もある。こういう感情を煽る展示について、事前に見る側が目に触れる情報を選ぶことができても良いのではないか。

 
大学生の時3週間、ドイツの元強制収容所にて多国籍のメンバーでソーシャルナショナリズムを学んだ。この時のレクチャーで戦時中の遺産の展示方法についても触れた。正しい展示方法などないと思うが、展示方法にも色々あるのだと参考になれば嬉しい。
 
ドイツでは第二次世界対戦やナチスドイツの記録をかなりしっかり残している。この点に関しては、研究すらほとんどされていない日本とは雲泥の差だ。
 
ドイツの資料館や遺跡展示では酷い写真や動画は目に触れない。淡々と事実が並べられる。『この場所で●●(誰)により●●(何)人が●●(どのよう)に殺された』という説明とそのあと被害者の名前年が続くものがほとんどだ。時には生前の笑顔の写真が横に並べられていることもある。
 
しかし、得られる情報は実はこれだけではない。たいていの場合、近くに引き出しやヘッドフォンがある。そこから更なる情報を得られる。例えば、被害にあった人々や死体の写真や被害者あるいは加害者の人生、人柄、収容後の様子などである。被害者が後に語った記録がある。展示場の一角に目を覆いたくなるような光景がある場合、たいていは先に警告が表示されている。
 
ドイツでは酷い事実を語りたがらないのだろうか。
 
なぜ彼らは必要以上に感情に訴えかけないのか、という問いのカギは思考方法の違いにある。彼らの目的が今後同じことを繰り返させないこと、とはっきりしているからだ。淡々と事実を並べることで多くの冷静な目で考えることを促している。どんなことが、なぜ起こり、どうしたら防げたのか、今後どうすればそれを繰り返さないか。深く掘り下げて行くためである。
 
人間は感情的になると多くのことを正しく判断出来なくなる。冷静さを欠いた色眼鏡であいつが悪かったとなじっても将来には活かせない。だから、あえて情報を入手する側にどこまで知りたいか、判断させるのである。
 
もちろんドイツでも戦争時のドイツ人は悪くなかったなどと教えているわけではないし、課題も多くあるようだ。事実を隠す必要は全くないと思う。しかし知ることで事実に圧倒されて感情的になったり恐怖で思考を停止されるより、多くの人が今後に活かせるように加害者としても被害者としても向きあう方が良いのではなかろうか。
 
「終わり」
※以下、広島平和記念館に展示される原爆被害者の酷い写真が貼られているため閲覧注意
 
 

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平和記念資料館

 

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屋内展示の始まり

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広島平和資料館について

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