長崎原爆資料館で学んで【長崎・長崎】

2022年3月末


 

‐もし広島や長崎を予見していたなら、1905年に私の公式を引き裂いていたことだろう。

 

アルベルト・アインシュタイン

 

 

長崎原爆資料館の入り口はガラス張りで明るく入りやすい雰囲気。

 

 

入ると壁一面、いやそれ以上に折り鶴がある。

 

 

展示場へは螺旋スロープを下っていく。壁には年代が書かれており、まるで時間をさかのぼるようだ。

 

 

展示場の入り口には柱時計が置かれている。原爆の投下された時間を指すこの時計は爆心地から800Mの民家にあったそう。

 

 

展示場に足を踏み入れるとまず当時の情景が迎える。かなりインパクトはあるが、ここにはあまり酷い写真などは無かった気がする。ただ、暗く当時の情景などはあるから小さい子には怖いかもしれない。

 

 

続いて原子爆弾についての説明がある。

 

 

被害に関する資料もある。以下の写真は熱で溶けたガラス瓶や中身が灰と化したお弁当や瓦など。この上には被害に合われた方のご遺体の写真のパネルなどもある。現実にあったことだから、知るに越したことは無いと思うが、残酷なイメージを見ることに敏感な方にはつらいかもしれない。

 

 

以前の記事にも書いたが、より理解が進むように目にすることも大事だとは思うが、それ以上に起きたことをより多くの人が冷静な目で見つめ直し、今後に活かす方が大切だと考えるので、人によって受容力が変わる残酷なイメージはこの記事には掲載を割愛する。

 

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資料館の最後には、原子爆弾の歩みと現在の問題が展示されている。

 

 

一般的な話で、日本において第2次世界大戦や戦争を語るときすぐ「原子力爆弾」が結び付き、あたかも日本人は被害者のように語られることには正直違和感がある。つまり、原爆以外でも亡くなった方はたくさんいるし、そこには日本人だけでなく外国人もたくさんいた、いやむしろ外国にこそたくさん被害者がいただろう。それは世界各国を回る度に思うことで、なぜ私の教科書には中国や朝鮮のことはほんの少し書かれていたにしても、その他は「戦線」として地図で知る程度でその全容を知るには時間切れとなってしまうのだろうと。

 

とはいえ、原子力爆弾の投下はそれほど大きなインパクトのある出来事だったのかもしれない。実験として行われるにはあまりにも悲惨過ぎ、それを語れる唯一の国だからこそ、ここがその悲惨さを知っている場所だから今後同じことが起きないように大きな声でNOと発信する責任があるのかもしれない。

 

日本で生まれた私は時折原爆について聞かれることがあるが、現地に行き実際に学ぶこにはとても意義があり、ここで学ぶことは私がこれから発信できることに繋がるのだと改めて実感した。

 

 

 

長崎弾丸旅、全体のインデックスはこちら

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その他、広島での学びについての記事はこちら

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