生まれながらの政治屋: クルド人

 

 

繰り返しになってしまいますがクルド人に関してトルコ(特に南東部)に行く方は知っておくべきことだと思うので私の知っていることを少しお話ししたいと思います。

 

ただ繊細な情報なだけに、数回に分けてそれぞれ異なる視点から、できる限り丁寧に説明しています。

そのため、そのうちどれかの記事を読む方はできるだけ他のクルドに関する記事も読んでいただければ幸いです。





前置きをするとクルド人に対する見解は様々あります。

必ずしも正確な情報ではないということを認識してください。

 

 

 

 

今回は私とクルド系トルコ人の友人との会話をもとにお伝えしたいと思います。





 

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(c)MIC ー写真素材 PIXTAー

ハサンケフ(トルコ南東部の遺跡)、トルコ

 

 

 

 

 

《生まれながらにしての政治屋



友人の言葉で印象に残ってる言葉があります。



トルコの人々が何かを話すとき、よく大きなリアクションをします。

トルコ語の方言も多岐に及んでおり、私には理解しがたいものもありますが、

このジェスチャーのおかげで、トピックスについては予測できることがあります。笑

それはクルド人も例外ではありません。



トルコ南東部のバトマン(クルド人が多く住む街)にいたある日、クルド人の友人達が集まって話をしてると、その空気感やジェスチャーからそれが政治の話であることを察しました。

向こうも私に気が付き、挨拶をしてきたので

 

「また、政治の話してるんでしょ? 好きだね。」 笑

 

と私が言うと友人の一人が私に向かってこう言いました。

 

「俺は自分自身は政治には無縁な人間だと思ってるよ。

でもクルド人として生まれたからには話さなきゃいけない時があるんだよ。

少なくとも、幾分かはね。ここにいる時には気が付かなかったけれども、

イスタンブールに行ってみて、自分が何者かがわかった。

そして、マイノリティーとして生きるということがどういうことなのかということが。。。」



と彼は言いました。

 

彼はトルコの南東部バトマンの出身、イスタンブール在住の学生です。

私が初めて彼に出会ったのはここバトマンの地で、当時彼は丁度高校を卒業し、大学のためにこれからトルコ最大の都市イスタンブールに移住し、大好きな英語の学習とイギリスの地を夢みる少年でした。そして、この時は学校の休暇中に帰省していた彼との2年ぶりの再会でした。

しかし、この時の彼の目は、2年前の純粋に夢を追いかける少年の目から現実の世界を他の視線からも見るようになった、少しさびしい目をしていました。




他を知り、己を知る。

それは口で言うほどたやすいことではないのかもしれません。

しかし、現実をしっかり受け止め、前を見つめる人々の姿勢に私はいつも感銘を受けています。

 

 

 

 

 

トルコのもう一つの顔 (中公新書)

トルコのもう一つの顔 (中公新書)

 

 

 

 

 

 

 

仲間の裏切り~マイノリティーの苦悩~

 

It is easier to forgive an enemy than to forgive a friend.

 

                                                                                                                ― William Blake

 

 

 

敵を許す方が友人を許すより易しい

 

                           -ウィリアム・ブレイク

 

 

 

 

繰り返しになりますが、クルド人に関してトルコ(特に南東部)に行く方は知っておくべきだと思うので、知っていることをお話ししたいと思います。

繊細な情報なだけに、数回に分けて、それぞれ別の視点から限り丁寧に説明していきたいと思います。
そのため、クルドに関するどれかの記事を読む方は可能であれば他のクルドに関する記事も読んでいただければ幸いです。

 

 

トルコ南東部バトマンで国際ワークキャンプに参加していた時の話です。

 

 

 

ある日の夜、外出していたイスタンブール出身のトルコ人の友人達が私達の滞在していた寮に戻ってくるなりこう言いました。


友人: もうこんなところにはいられないわ!! 出ていく!!

私: 何があったの!?

友人: だってここ変なんですもの!! 私が彼氏といい感じになっている時の街の人の目を見たでしょ!?それ、おかしいわよ。でも、私今ちょっと酔ってるわ。
まぁ とにかく私達は出ていくわ。

私: ???

 

そしてまた別の友人の方を見ると

 

友人2: あなた達には会えて嬉しかった :)

    あなた達のことは大好きよ。でもここにはもういられないわ!!

 

と突然出て行ってしまいました。


私はその時彼らを理解することができませんでした。
なぜなら、私達外国人には何の問題も無かったからです。
しかし、縁があってこの出て行ってしまった友人達とは後々イスタンブールで再会しまいた。その時、彼らこの時なぜ出て行ってしまったのかを話してくれました。

 


友人: あの伝統的な考えの人達には嫌気がさしてたの。お酒は飲んじゃだめ。付き合ってる恋人同士でも一緒に泊まるのもだめ。おまけに参加する時には書いてなかったけれども、英語が話せるってだけでスタッフみたいに翻訳して働かなければいけなかったの。それはフェアじゃないでしょ!?

 

私: だけど、あの地域の人達が保守的でお酒飲んじゃダメだとか、あまり肌を露出しちゃいけないとか。男女関係とかに関しても厳しのは知っていたでしょう?

 

友人: 知ってたけど、ここはトルコよ。しかも大昔とは違うの。あんなのは変よ!

 


私の友人は、あまりに伝統的な価値観に理解ができなかったのだそう。
ここまで、ご覧になってくださった方の中にはこのワークを投げ出して出て行った私の友人に忍耐力がなかったように感じる方もいるかもしれません。
でも後に親友となる彼女は実はバリバリの国際派のエリートで多様な価値観に対してとても寛容な人です。

 

 


ではなぜこんなことが起こったのでしょうか?

考えてみれば、私の会社でもこんなことがありました。

 


「あの人常識ないんじゃないの。ほんと態度でかいよね。入ってきたばかりなのに。これも使いたいだなんて。」
と裏で愚痴をこぼす先輩方。。。

 

ここまで聞くとこの先輩の同僚が何が横柄な態度をとってそれに憤っているように聞こえますよね。

 

でも、これ本当はどちらが横柄(おかしい)なのでしょうか?


それは甲乙つけがたいと思いませんか?


つまり、相手を同じような環境、価値観の元で育った仲間(内の人)だと仮定するから

相手に対しても近い価値観や言動を求めてしまうのではないでしょうか?

「常識」という言葉が存在するくらいなのだから、ある社会の中で共通の概念や価値観が分かち合われていることがあることは容易に想像できます。

 

しかし、現実には同じ国で暮らしていても時に価値観が大きく異なることがあるのです。それは、あなたの隣の人が必ずしもあなたと全く同じ考えをしているわけではないのと同じです。


私達も「外の人」に対してだけでなく、「内の人」に対してももう少し寛容にならなければいけないのかもしれません。


こうした偏見と価値観の押し付け合いがマイノリティーを知らず知らずのうちに苦しめる原因となっているのかもしれません。

 

 

これは、今回挙げた問題はトルコ内の問題に限らず、ナショナルソーシャリズム女性問題、マイノリティー全般の問題に関わるポイントだといえるでしょう。

 

 

凝り固まってしまった固定観念の中に偏った見方が存在していないかぜひ考えてみてください。

 

 

 

ポツダム、ドイツ 

 

明日のために戦う人々: クルド人

 

繰り返しですが、クルド人に関してトルコ(特に南東部)に行く方は知っておくべきことだと思うので私の知っていることをお話しします。

繊細な情報なだけに、それぞれの異なる視点から数回に分けて、丁寧に説明していきたいと思います。
そのため、そのうちどれかの記事をご覧になる方は可能であれば他のクルドに関する記事も読んでいただければ幸いです。

 

 

 

 

ギョレメ、カッパドキア、トルコ 

 

 

 

トルコ南東部バトマンでクルド人やトルコ人の友人達と中東情勢について話していた時の話しです。

 

私 : PKK(かつてあったゲリラとされるクルド系反政府組織)とかのことはどう思うの?彼らは暴力的ではないの?

 

クルド人の友人A: 彼らは僕らのために戦ってくれてるんだよ。僕とは考え方が多少違うけど、クルドの文化を守ろうとしてるんだよ。

 

南東部に住むトルコ人(親クルド人派)B: 人は権利や自由を手に入れるためには時に立ち上がらなければいけない時ある。それは歴史が証明しているだろ。

 

クルド人の友人A: そう。 でも暴力は良くないよ。

 

南東部に住むトルコ人(親クルド人派)B: そうだね。だけど世界を変えるには必要な時もあるんだと思う。

 

 

「結論からいうと、私の友人たちは非暴力を好み、暴力には反対だが現実の世界には必要な時もある」

 


と考えている人が多かったです。

 

 

暴力的な行為には私も賛成はできませんが、確かに私の友人の意見は一理あると思います。

 


つまり、現代の日本では戦後、戦争は良くない。
争い事は良くないとして、それら全てを悪と考えているような節があると思います。

けれど、世界を見渡せばまだまだ紛争地域や争いの絶えない場所があります。

それらの全てが「悪」なのでしょうか?

そこで命を懸けて、まさに「一所懸命」(一つの場所に命を懸ける)に戦う人々達は「悪人」なのでしょうか?

 

 

歴史を振り返れば、確かにほとんどの国や地域では先人達が戦うことで自由や自分達のアイデンティティーを守ってきました。

日本は戦争で負けた結果、西洋やアメリカから与えられる形でそれらを受け取ったわけですが、元をただせば、西洋史の中で人々が勝ち取ってきた権利なわけです。

それから約70年経過した現在、平和な世の中に住む人々は今の時代にそぐわない野蛮な人たちだという視線で自分達の未来のために戦ってるいる人たちを非難する人々がいます。それは少し無責任なように私には思えます。


綺麗ごとかもしれませんが、全ての人が戦わずして、平和に暮らせる世の中が実現することを願って全人類が力を合わせるべきだと心から思うのです。

 

 

 

 

クルド民族

クルド民族

 

 

 

 

概念と観念: クルド人

 

 

The truth is rarely pure and never simple.

           

 

 

                                                                         -Oscar Wilde

 

 

 

 

 

真実はほとんど純粋にならず、絶対に単純ではない。

 

 

                    -オスカー・ワイルド

 

 

 

 

 

クルド人に関してトルコ(特に南東部)に行く方は知っておくべきことだと思うので
私の知っていることをお話ししたいと思います。

ただ繊細な情報なだけに、数回に分けて、それぞれ異なる視点から丁寧に説明していきたいと思います。

そのため、クルドに関する記事を読む方は可能であれば他のクルドに関する記事も読んでいただければと思います。

 

 

 前置きをするとクルド人に対する見解は様々あります。

また、公の統計等も存在していないため、必ずしも正確な情報ではない(推定の情報)を含むということを認識してください。

 

 

カテゴライズするのはあまり好きではありませんが、一般的にクルドの人々は独立心が強いと考えれています。
そんな彼らの話の第2弾です。

 

 

 

ハサンケフ(トルコ南東部)、トルコ

 

 

 

はじめに、多くのクルド人は概してとても温厚であることをみなさんは知らなければなりません。それはイラクでも同様で元JAICA職員の方はクルド人地域は安全だと言っているほどでした。そんな彼らがなぜ、一般の人々に危険な人々と認識されるようになってしまったのでしょう。

 

 

 

PKKの存在

国際情勢に詳しい方々は耳にしたことがあるかもしれません。
(今は事実上解散されましたが)PKK(ペーケーケー)などの(当時日本政府の認識としては)過激な組織も存在し、時にゲリラ戦などを起こしていた事実があります。
また、PKKはトルコでは「ペーカーカー」ともいいますが、これはトルコ語読みでクルド人的にこの呼び方は間違えであり、失礼にあたるのだそう。

 


●トルコ国内におけるクルド人の印象

トルコ国内におけるクルド人の印象は必ずしも好意的なものではありません。
上記にあるような、ゲリラなどの報道等がありそれをよく耳にする人々にはあまり良い印象が残ってないそうです。また、クルドの中でも、トルコから民族差別を受けている(意識が広がっている)過去と現在があるため、トルコ国内における民族対立の存在は否定できません。

敵対しあう歴史、屈辱的な歴史が差別を生み、クルドの人々がアイデンティティを強め、お互いに壁を作り、その壁は結果的に差別を生みやすくしてしまったのかもしれません。憎しみの連鎖とはまさにこのことでしょう。

 

 


●私の感想

残念なことはおそらくトルコ国内ですらクルド人を理解している人もあまり多くない印象があります。私自身トルコの南東部のある一定の地域を2度程合わせて3週間程度の滞在なので、全てを知っているとは言えません。
しかし、私がトルコの人々から聞いたクルド人と実際に会ったクルド人(関わったのはおそらく70人程度)とは全く違う印象を持ちました。
私の会った他の外国人全員(13人程度)や実際に南東部に行ったトルコの人々(全員ではありませんでしたが)も同じことを言っていました。

実際に会って対人同士で理解が進めばより友好的な関係が築けるのかもしれません。

そして、それを難しくしているのはもしかしたら、報道の規制にあるかもしれません。

トルコでは政府が報道に対して強い権限を持っています。ギゼパークの大規模デモの際にSNSや報道が規制されました。こういった対応は時に人々の混乱を抑えることに有効かもしれませんが同時に事実を隠してしまう可能性があります。

BBCの報道によると「過去にトルコ南東部におけるクルド人を取材したトルコの記者が2人いたが、その2人は理由は不明だが、取材を始めた直後に解雇された。」
そうです。

 


こういった状況について私のクルド人の友人たちが語ってくれたことがありました。
これについて次回はお話ししたいと思います。

 

 

 

クルド人もうひとつの中東問題 (集英社新書)

クルド人もうひとつの中東問題 (集英社新書)

 

 

マイノリティーの苦悩: クルド人 序章

 

 

If a country doesn't recognize minority rights and human rights, including women's rights, you will not have the kind of stability and prosperity that is possible.

 

                             

                                                                                                         -Hillary Clinton

 

 

 

もし、ある国が少数派の権利、人権、女性の権利を含めて認識しないのであれば、可能であるはずの安定と繁栄を得ることができない。

 

 

                          -ヒラリー・クリントン

 

 

 

 

 

 

 

ニヨン、スイス

 

 

 

 

世界は必ずしもフェアではありません。
マジョリティーとマイノリティー。
差別と区別。
残念ながら力関係は必ずついて回るのです。

 

 

日本ではあまり好まれない話題かもしれませんが、
海外では一般的にそれは通用しません。

私個人の見解に偏ってしまうこともあると思いますが、
それを認知したうえで、私が目の当たりにしてきた一つの事実をみなさんにも知って、少しでも考えて、できることならより良い世界になるように一歩踏み出すきっかけなればと思います。

 

 

クルド、クルド人という言葉を聞いたことがありますか。
馴染み無い方も多いと思いますが、トルコ(特に南東部)を含め東欧、中東にに行く方はぜひ知っておくべきことだと思います。また、ヨーロッパでも時折聞く内容ですので、記憶にとどめていただければ幸いです。

 

これは繊細な情報なだけに、これから数回に分けて、できる限り丁寧に説明していきたいと思います。
それぞれの記事を異なる視点で紹介します。そのため、そのうちどれかの記事を読む方はできるだけ他のクルドに関する記事も読んでいただければ嬉しいです。

 

 

 

まず、前置きをするとクルド人に対する見解は様々あります。

また、公の統計等も存在していないため、必ずしも正確な情報ではない(推定の情報)を含むということを認識してください。

 

 


<ブリタニカ国際大百科事典> によると

クルド人とは西アジアのクルディスターン地方に住む人々のことでクルド語を人々である。人口は1500万人以上と推定されているが、正確な統計はない。

 

としています。

 

 

 

ブリタニカ国際大百科事典 小項目版2011

ブリタニカ国際大百科事典 小項目版2011

 

 

 


ここからは <私の知っている情報>です。

 


まず今回は、 《クルド人の目線》 から

 

クルド人は独自の文化を持っています。
ブリタニカ国際大百科事典に記載されているクルディスターンとは国際的な視点では
現在「国」とは認められおらず「地域」であるとされています。
その地域は トルコ 、イラン、 イラク、 シリア 等にまたがる主に山岳地帯で明確な定義はありません。
クルドの人々は独自の言語や文化を持ち一般的に独立心が強いとされています。

 

 

●クルド語
地方によってかなり相違があります。
クルド人の友人によると、大きく3つの分類に分かれており、ぞれぞれの言語は全く違うものではないにしても、それぞれの方言の多くの部分が理解できないことが多いのだそうです。
また、使用される文字は地方によって ラテン文字アラビア文字キリル文字 と分かれています。そのため同じクルド人同士での口頭におけるコミュニケーションはとれても、読み書きに関してはさらに困難なのだそうです。多くは住む地域に依存しています。


音楽や結婚式の行い方(衣装を含め)も地域によって全く異なるのだそうです。

 

 

 

●トルコにおけるクルド人について

 


◎住居
住居クルド人が最も多く住むのはトルコ最大都市イスタンブールです。しかし、クルド人の割合が多いのはトルコの南東部であるとされています。

 

 


◎独立の意識の高める理由は?

 

1・言葉の壁
トルコ国内では、公の学校ではクルド語での教育が認められていないため(NGOなどの教育機関はあるそうです。)、小学校に上がるまでクルド語で育った人も学校に入ってからは、トルコ語を覚える必要があるそうです。
そのため、トルコの南東部でも、トルコ語は基本的に通じます。さらに、クルド人の中にも、クルド語が話せない人は多くいます。(もちろん、クルド語のみ話す人も年配者を中心に少数ですがいるそうでうす。)

 

 


2・石油
いわゆるクルディスターンと呼ばれる地域は、石油の埋蔵されている地域であるため
実際に独立しても自分達でやっていけるのではないかとしている人たちもいるほどです。

 

 


3・経済的な格差
トルコでは地域における経済格差が大きいとされています。そのため、西側の特にイスタンブールを始めとする地域に人口が集中しています。80%近くの人口がイスタンブールに偏っています。

*1

話を戻します。西と東の経済格差だけでなく東側の地域内でも格差が大きくあります。東側では、一握りの石油の恩恵にあずかれる人達とそうで無い人がいます。

こういった経済的な格差が不満を募らせる原因ではないかとも考えられます。

 

 


このようにクルドの人々はトルコの中でも違った文化や価値観を持っているため、
一般的に(ステレオタイプも含みますが)独立意識が高いと考えられています。


しかし、私個人の感想ですが、クルディスターンとして独立したいと考えている人が多いというよりは「トルコ人」として扱われることが嫌な人が多い印象を受けています。

 

トルコでは個人のIDが発行されているのですが、クルドのバックグラウンドの持っていても国籍がトルコになっていて、トルコ人として書かれているのだそうです。
彼らからすると、国籍はトルコでも「クルド人」という記載がほしい と多くの友人達は語ってくれました。

 

また、公の場でクルド語の使用や教育を認めるのなど、弾圧ではなく、守る姿勢が欲しいのだと考えている人々も多いようです。

 

 

 

 ハサンケフ(トルコ南東部の遺跡)、トルコ

 

 

 

次回は
トルコにおけるこの独立心の強いとされる人々がどうして時に危険視されてしまうのことがあるのか。
そして、現地の人々はそれについてどう考えているのか。
私が感じたことについてお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:発展経済学上、人口は経済的均衡を保とうと移動します。つまり、田舎であったとしても、所得が保たれるもしくは高いのであれば、生まれ育った地域に根を張ります。時に違う地域からの流入もあるでしょう。しかし、現実的には都市部に仕事が集中し、様々な要素の競争から都市部で価格が高騰するため賃金も上昇します。そのため、都市部と田舎で経済的な格差が生じやすくなります。このため、より豊かな賃金、経験を求めて都市部に労働人口は流入します。つまり、バランスの良い都市開発がなされていないと、都市部と田舎の経済格差は広がり、人口過多過疎が生じるのです。

ストックフォト PIXTA

 

You don't make a photograph just with a camera.

You bring to the act of photography all the pictures you have seen, the books you have read, the music you have heard, the people you have loved.

 

 

                               ― Ansel Adams

 

 

 

写真はカメラだけで作るわけではない。

見たことのある全ての写真、読んだことのある全ての本、聞いたことのある全ての音楽、愛したことのある全ての人、これらのものを用いるのだ。

 

 

                             ーアンセル・アダムズ

 

 

 

 

 

Canon デジタルカメラ PowerShot SX410IS 光学40倍ズーム PSSX410IS

 

 

 

 

 

 

 

旅行好きな人の多くは写真好きになっていきます。

旅に出て世界を見渡すと、世界的に有名な美術館を訪れ歴史に名を遺す芸術作品に圧倒され、美術の魅力に憑りつかれる人もいるでしょう。

あるいは、非日常を味わい続けることで、今まで目も止めなかったドアノブの飾りやビルの美しさ、たわいない日常の中で垣間見る人々の表情に美しさに改めて気づく人もいるでしょう。

こういう時、どうしてもシャッターを切らずにはいられなくなるのです。

 

 

 

 

 

19869352

(c)MIC ー写真素材 PIXTAー

エルミタージュ美術館サンクトペテルブルグ、ロシア

 

 

 

 

私もその一人

一度旅に出ると、1か月で5,000枚程度の写真をとることもしばしばあります。

旅を始めた当初は、写真には全く興味が無く、美しく撮る気なんて毛頭ありませんでしたが、現在は社会人の写真の集まりに顔をだしています。

 

 

 

楽しく撮るのはいいですし、友人とSNS等を通じて撮った写真を共有できるのも楽しいです。

私自身もそうやって、様々な人から写真の評価を受けたりして、より素敵な写真撮れないかと模索しています。

その中では好評をいただくこともあります。

 

 

もし、写真を赤の他人から評価してもらえたらどうでしょう。

友人は時に厳しくもありますが、大方好意的な反応を見せてくれるものです。

なおかつ、その良さを伝えること自体にお金はかかりませから。

 

 

でも、もしかしたらあなたの捉えた一瞬はある人にはお金を出してでも価値のあるものかもしれません。

 

 

ストックフォトというものをご存知でしょうか。

撮り貯めた写真ウェブ上でを販売することができます。

もちろんこれには審査があります。

私自身当初は、今まで撮ってきた写真の評価が欲しかったことと、画像編集の練習になればいいと思って始めました。

 

そこで、購入してくださる人が増えるにつれて楽しくなってしまいました。

自分の写真を必要としてくれる人がいるのは私の喜びでもあります。

 

今回はそんなストックフォト販売サイトの1つ

PIXTAを紹介します。

日本の会社なので日本語で利用できます。

 

 

 

写真素材のピクスタ

 

 

 

 

 

例えばこんな写真

 

 

 

 

 

23993658

(c)MIC ー写真素材 PIXTAー

ドーモ、フィレンツェ、イタリア

 

 

 


写真にバッテンと真ん中にPIXTAの文字が入っているのが分かりますか?
これはPIXTAで販売中の写真のです。
もちろん、購入した後は通常の写真と同じようになっていますのでご安心下さい。

 

1か月にアップロードできる写真の枚数は決まっています。

当初は10枚です。アップロードした写真を販売の審査に提出して評価の良いものが採用されるため、アップロード可能な枚数が少ないということは必然的に審査に提出できる写真の枚数の写真も少ないということです。

良い評価が続けば、アップロード可能な写真の枚数は増加し、反対に評価が良くないものばかりであると、上限が低下します。

興味本位で始めた私は最初の1年放置していました。

 

ストックフォトは需要と供給のバランスからいえば、供給過多です。

それもそのはず、フォトグラファーは20万人を超え、作品は2,000万点近くあるのですから。

さらに、その中ではもちろんプロとして活躍する方もいらっしゃるわけです。

アマチュアもいいところの私の作品等1枚でも売れたらラッキーだなというくらいに考えていました。

 

ところがある時1枚の写真が売れました。

 

 

 

 

 

 歴史美術館、ドーハ、カタール

 

 

 

 

それがこの作品、なぜこの写真だったのかまでが私にも分かりませんが、自分の写真をお金を出してもいいと思ってくれた人がいたことがとっても嬉しくて、写真をさらにアップロードしました。すると上限は上がっていき、現在も時々時間がある時にアップロードし、あとは放置の私でも月に1枚は少なくとも月に1枚は売れるようになりました。

 

私の場合40枚を超えで販売をはじめた頃から、売れ始めるようになりました。

もちろん、1枚や2枚写真が売れたところで小学生のお小遣い程度の稼ぎでしかなく、生活できる額には到底及びません。ストックフォトの販売サイトをいくつか登録していれば、多少収入は増えますが。。。

しかし、趣味として行っているものを不労所得(働かずして入ってくる収入)という意味では1つの良い選択肢だと思います。

 

他の多くの人が唱えている通り、掲載枚数が増加すれば販売枚数、比例して収入も確かに上がっています。

 

 

旅が大好きで写真はたくさんあるけど、放置しているという人はぜひ試してみてください。

放置したままのお宝が意外と眠っているかもしれませんよ。

もちろん、日本での日常の写真でも問題ありませんよ。

海外発祥のサイトなら希少価値はあがりますしね。

これらに関してはまた今度紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真素材のピクスタ

 

 

 

 

 

世界一優しいトルコの人々

 

 

You will never be completely at home again because part of your heart is always elsewhere. That is the price you pay for the richness of loving and know people more than one place.

 

                          -Miriam Adeney

 

 

 

あなたが完全な状態で家に戻ることは二度とない。あなたの心の一部は常にどこかにあるのだから。それが一か所以上の場所で人を愛し、知る豊かさへ支払う対価である。

 

 

                            ーミリアム・アデニー

 

 

 

 

 

 

 

 

ウフララ渓谷、トルコ

 

 

 

 

 

可能な限り訪れたことのない地域を訪れたいと考えてる筆者ですが、トルコは「ここはどうして戻りたい。」と思ってしまった国の一つです。これには共感される旅人も多いのではないでしょうか。

 

それにしても、結局3度も行くことになるとは。。。

切っても切り離せない縁を感じさせてくれる大好きな国です :)

 

 

トルコというとどんなイメージをお持ちでしょうか?

 

イスラム教の国

②エキゾチック

③ケバブ

 

こんなところでしょうか。

という人も少なくないのではないでしょうか?

 

最近では、日本でも少しずつ知名度を上げているトルコですが、

私が当初訪れたのはオリンピックの候補地として日本と競り合い話題になる前の話です。

当時はみんなトルコがどんな国かなんて知らず、

書店や図書館で観光の本を探しても、いまいち見つからず。。。

インターネットの検索で浮かび上がる情報といえば、

「トルコに関する情報は間違っているものがほとんどだ。」

ということでした。

 

それにも関わらず、10代の若い女性であった私が一人で、しかもトルコ最大都市であるイスタンブールからバスで22時間かかる都市(バトマン)まで行くと言い出したのには理由がありました。

当時、当時両親をはじめ友人には、「何を言っているんだ」というように驚かれ、心配されたのが本当に懐かしいです 笑

 

 

私がトルコを選んだ理由、それは幼い頃何度か世界中を旅した人たちとの出会いことに遡ります。

 

幼かった私は今思えば愚問ですが「一番の思い出はなんですか?」「一番良かった場所は?」等と質問を繰り返していました。

すると彼らは「沢山の思い出があるから一番を選ぶことはできないな。」と答えます。

しかし、その後何人もの人がこう付け加えました。

「ただ、強いて言うなら私の経験の中では、トルコとかシリアとかイランとかあそこらへんの人達が一番優しかった気がする。日本ではアメリカのニュースとかのイメージもあるから、イスラム教の人達に対してよくない印象を持っている人もいるけど、実際にいる人たちはとても親切だった。私の体験の中では他の人達よりも。。。それが驚きというか、嬉しい発見だった。

 

こういった言葉を聞くたびに、何人もの人の体験の中で、世界一優しい人々と称される地域に興味を持っていきました。

 

時は流れて大学生の時トルコのワークキャンプがいいという評判を聞き参加を決意しました。

これがきっかけで私の世界は変わり始めていきました。

 

 

それがどんなものだったかを今後も紹介していきたいと思います。

 

 

今までもトルコに関する記事をいくつか書いているので興味ある方は下記のリンクを是非ご覧になってください。

 

 

 

 

s-mic.hatenablog.com

 

 

s-mic.hatenablog.com

 

 

s-mic.hatenablog.com