知ることは力、責任を伴うの。
To know is power.
It takes responsbility .
- L
知ることは力
それには責任を伴うの
‐L
もうすぐ、24時間テレビが始まりますね。
毎年、全国を感動の渦に巻き込んでくれる、そして自分に何かできることはないのか考えさせられ、時に行動を起こさずにはいられなくなるこのテレビが私は好きです。
私が幼い時ある人がいいました。
「なんで、あんな悲しくなる番組観るんだよ。」
と。。。
私の場合その答えは、お正月に放送された石原さとみの「アフリカへの旅“いのち”に魅せられた9日間!」にもあると思います。
石原さとみとアフリカとの出会いは撮影だったそう。
- そこでのドキュメンタリーです。
その中私にとって印象的だったのはここ。
石原さとみが拉致され、子供を強制的に産まされ、
脱走する際に子供と生き別れてしまっだ女性との対談の後、
「キャパオーバー。なんで泣いてるのかも分からないけど。。。」
と言った彼女の言葉にはぐっときました。
私にもこんなことがありました。
ドイツでナショナルソーシャリズムを学ぶワークに参加しました。 - そこでは強制労働収容所で差別や強制労働、今の社会課題を学びました。
-
その中では、そういったものの被害にあった人々から話を直接聞く機会もありました。
そのワーク期間の最後に、みんなで感想を言い合っていくと、
一人の友人が自分の番のときにこういいました。
「分からない。私にはまだ分からない。正直なところ。
色々なことがありすぎて、消化しきれていない。」
といったのをよく覚えています。
そしてこのときのハッとした気持ちも。。。
私は幸運にも多くの機会をもらい、
いつしか周囲の人が
「一生に一度の経験だ」
というのを聞くことが当たり前になっていました。
けれど、人の命に触れて、母なる大地に触れて
そんな簡単に飲み込める器を私は持っていないと感じました。
世界をもっと知りたいと旅するようになったきっかけは形は違えど同じ。
初めて一人で行ったフィリピンで思いがけない出会いや光景に圧倒されたのを覚えています。
それは今までのバカンスで行くリゾート地の海外旅行とは全く違う衝撃でした。
外国人女性が一人で出歩く環境
売られている食べ物や飲み物が当たり前に食べれない状況
車で移動すれば、1ペソ、日本円で当時たったの2円を物乞いする子供たち
道を歩く人が病気もしくは体の一部を売っている現実
ぼったくる現地の人と、有り余るほどお金を持っていても分け与えない外国人
すぐ鼻の先では人々が明日を憂いて生きながらえているのに
私のいる場所は安全な城の中
そんな環境に胸が何度も締め付けられそうになったことがあったのを覚えています。
話は戻りますが、先ほどの友人の発言を受けて、別の友人がこう返したのを今でも鮮明に覚えています。
- 「知ることは力、責任を伴うのよ。」
- 冒頭の言葉です。
実はこの言葉には続きがあります。
Sometimes I feel that I can't handle it...
(時に、私の手に負えないと感じるの...)
- とても正直な気持ちだと思います。
石原さとみの紹介していた
「太陽の子」で出てくる
「知るべきことを知ろうともしない、勇気のない人間にはなりたくない。」
という言葉にはそういった思いを抱えながらも立ち向かおうとする力強さがあると思います。
私も私の友人や石原さとみのように問題に正面から向き合える
美しい女性になりたいです。
きっかけは、旅でもテレビでも
自分の住む世界に責任を持てる人間に私はなりたいです。