本命とは付き合えない?今時の20代西洋人男性達の恋のお悩みとは【メルボルン・オーストラリア】

2018年夏


 
ー You can have it all. You just can’t have it all at once.  

 

- Oprah Winfrey

 

‐あなたはすべてを手に入れることができる。

 ただ、同時に手に入れることができないだけ。

 

オプラ・ウィンフリー

 

 

これは私(20代女性)がオーストラリアの第2の都市メルボルンに住んでいた時のこと。住んでいたのは郊外の古いお屋敷。メルボルンは昔ゴールドラッシュで裕福になった人々のお屋敷があり、その一部は現在学生やワーホリなどで訪れる若者がシェアして住んでいる。私が暮らしていたのもその一つ。大きなお屋敷に15人の若者が住んでいた。

 
たくさんの人とシェアすることが前提のこの家の住人はソーシャル(社交的)な人が多く、とても仲が良かった。住人とその友人達はほぼ毎日この家のどこかに集まって時間を過ごした。
 
この家の住人は男性の西洋またはインターナショナルスクール出身者が過半数で、しかも揃いも揃ってイケメンばかりだった。私はその中の1人とメルボルンに移る前から友人だったので移り住む時に他の家の内見を1度もせずにこの家に住むことになったのだが、後にハウスメートの1人が自身の不在時に部屋を又貸ししようとSNSに広告を出すと、すぐに100件近くの応募があり、そのほとんどが広告の写真に載っているこの男の子はフリー(彼女無し)なのかというものだった。実際に内見に来た女の子の中にはお目当ての子に「あたながタイプなの」としっかりアピールしていく強者までいた。こんなに積極的な人が多いのかと同世代に感心した。
 
そんなモテ男達の中には何人もの女性と同時期にデートしている人も少なくない。これは西洋人ないし、いわゆる西洋化された国際的な人の中では男女ともに珍しいことではない。オフィシャルな恋人とただのデート相手は異なるのだ。
 
ある日の昼下がり、裏庭に10人ちょっと集まり、明るい時間からブーズと呼ばれる安いワインを片手に他愛ない話しをしていた時のこと。「好きな女の子と今度出かけるんだって?楽しみだろ?」と聞かれた男性Hは急に真剣な面持ちで答えた「とても楽しみだよ。だけど付き合える分けではないから…僕は本気の人とは付き合えない。今結婚できるわけじゃないからな。」と応える。これに周りにいた男性たち10人程度が「あー」と神妙な面持ちで頷く。
 
私を入れて3人の女性がぽかーんとしているのを見るに、1人の男性Dが解説し始めた。
 
「男性にとっての女性は大きく分けて3種類ある。」と言う。それに「そうだ」と男性陣達はやけに大げさに同調した。日本語では周囲が相槌を合わせることが多いが、英語ではまずないので急にコメディーのトーンである。
 
「1つ目は、ありのままでいい感じの子」と続けると、男性陣は少しにやつきながら「そうだ」とまた一斉頷く。私の露骨な解釈では、自分には特に何も感じさせない子と言う意味だ。
 
「2つ目は、デートしたいって思わせる子。この子達のことは本当に好きなんだけど、本命とは違う。」と言うと、今度は「あー、そうだな」と感慨深そうに他の男性陣達が頷く。私の心ない解釈では、可愛い子という意味だ。
 
「3つ目は、本当に好きな子。これは2つ目の子とは全然違う。結婚とかそういう真剣な恋愛を考えちゃう相手。この子達にたいていの男子は手を出せない。本命だからね。」というと言うと「あー、そうだ」としみじみと男性陣は同調する。加えて別の男性が言う「僕は将来結婚したいと考えてる。そして僕にとって真剣な恋愛を始めることは結婚するようなものなんだ。本命と別れるのは辛いだろ。でもかと言って今の僕が結婚できるわけでもない。早くても30歳過ぎるまでするつもりもない。1年くらい真剣に付き合ってから結婚できる状態ではないなんて結婚を意識するくらい好きな子に向かって言えないよ。」。これに男性陣は一斉に「あー」と深く頷いた。
 
なるほど、と私は思う。実は「本当に好きな子とは付き合えない」という話を若い男性から聞いたのはこの家の人達が初めてではなかった。ただ理由についてはよく知らなかった。
 
ここでの納得感は多様性の尊重と伝統的な価値観への理解があったからではないかろうか。
 
一般論だが西洋の自由恋愛が複雑だという認識はあった。既婚カップル、オフィシャルに付き合うカップル、"お友達"というノンオフィシャルな友達以上恋人未満の関係、ディファクト、パートナー、オープンリレーョンシップなど多種多様でそのカップルに合う関係性を築くことが尊重される。
 
そのため恋愛や性に対して自分がどういうものを求めているか意識している人は多いように感じる。そして、パートナーとお互いの立ち位置について確認していく機会が多いのではないだろうか。
 
多種多様で複雑な価値観は時に不確定でつかみどころが無く、人の心が移ろうと知っている人達にとっては不安な要素であろう。考えに考えた結果、或いは多くの恋愛を経験した人達だからこそ、本命に特別な意味を持たせるために、一時の恋愛とははっきりと区別したいのかもしれない。
 
これは本来は男女の問題ではないように思うが、価値観の多様化した現代にも恋愛において男性がリードするという伝統的な価値観、時にプレッシャーはいまだに多くの人の中で受け継がれているのだろう。ちなみにこの時同じく20代前半で女性の私は本命とは付き合えないなどとは言われなければ一瞬たりともよぎらなかった。
 
過去の実らなかった恋も実のところ本命として純粋に美しく実っていたのかもしれないなと、昔のほろ苦い記憶をも微笑ましく思えてくるのは私が途方もなくポジティブだからだろうか。
 
 
メルボルン近郊の住宅街
 
 
 
現代日本女性のぐるぐるする日常を描いた話(本)